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元朗の歴史スポット(YuenLong)


元朗は香港で最も古い街と言われているだけあって、歴史砂漠(?)香港特別行政区の中では比較的多数の遺跡、然も香港としては古い遺跡を多く見ることが出来ます。また、元朗は香港の随所からバスが出ており、元朗と屯門を結ぶ軽便鉄路もありますので、移動に不便は無いと思います。
ここでは、元朗の中でも比較的歩き易い2箇所をご紹介します(右上写真は、軽便鉄路屏山駅)。


<屏山文物徑の歩き方>

元朗の中心地から軽便鉄路で10分ほどのところにある屏山には、多くの歴史的遺物があり、香港政府はここに屏山文物徑というHeritage Trailを作りました。
比較的交通の便もよく、また全長1〜2km程度と普段長距離を歩きなれない方やお子様連れでも十分に楽しめるところだと思います。
屏山文物徑へは、軽便鉄路で元朗総駅から5つ目の屏山駅下車、駅のすぐ横にある屏厦路を屯門方向へ右折、屏厦路沿い500mほどで最初の歴史スポットである洪聖宮が見えてきます。ここからは屏山文物徑の看板が出ていますので、看板に従って進んでください。
屏山文物徑は約1kmほど、見学しながらゆっくり歩いても1時間程度です。
また、最終見学場所である聚星樓から軽便鉄路天耀駅までは徒歩10分程度、天耀駅からは元朗総駅へ直通路線が、屯門市内までは1度乗り換えるだけで着けますので、帰りも苦労ありません。
それでは、屏山駅方面から順番に、屏山文物徑をご紹介します。
尚、屏山文物徑は、香港政府がパンフレットを出しています。他の政府系博物館若しくは屏山文物徑の古跡にて無料で配布されています。


<洪聖宮>

洪聖宮は清の乾隆帝32年(1767年)に屏山鄭一族によって建設されました。現存する建物は清の同治帝5年(1866)年に修繕再建され、1963年に補修されたものです。

伝説によれば、洪聖は本名を洪熙といい、唐代にこの地を治めた官吏であり、住民を慈しみ天文地理に詳しく、この地に天文気象観測所を建設して地元の人々に多くの利益を与え、死後に「広利洪聖大王」の名前が与えられ、この地の人々、特に漁業を生業とする人々の信仰を集めました。

洪聖宮の建設様式は「両進式」です。即ち入り口を入ってホールがあり、更に奥に進むともうひとつホールがあります。この地域の廟は、概ねこの形式に拠るようです。


<覲廷書院>

覲廷書院は屏山鄭一族12代の香泉侯が建設したもので、創建は1870年です。
主に教育の場として、そして祖先を祀る場所として利用されました。
創建当時、鄭一族は繁栄を極めており、この場を学校として子弟の教育に力を入れてきました。また、第二次大戦以降も周辺の子女教育の場として活用されました。

左写真中央が覲廷書院です。現在の建物は1991年の大修繕を経ていますが、周りの雰囲気は清代後期のものを十分に偲ばれると思います。


<鄭氏宗祠・愈喬二公祠>

鄭氏宗祠(写真左)は屏山鄭一族の祖祠です。この周囲には鄭一族のエリアである上璋園、橋頭園、灰沙園、坑頭村、坑尾村、塘坊村、新村、洪屋村、新起村をあわせて3園6村と呼びます。
この祠は鄭一族5世により建設されたもので、創建は約700年前といわれています。
鄭氏宗祠は「三進両院式」になっており、その建設方式から、鄭一族の中には当時の政府の要職に就いていた方がいたと想像されます。
1990年から91年にかけて大修繕が行われ、現在も当時の様式そのままに鄭氏祖先を祭る各種祭祀が執り行われています。

愈喬二公祠(写真右)は鄭一族11世が16世紀初に創建され、主に学問の場として使われました。1931年から1961年まで、ここでは達徳学校が開設されていました。
これも鄭氏宗祠同様に「三進両院式」の建築で、清の光緒年間に修繕された記録があります。現在の建物は1995年に更に修繕されたものです。


<楊侯古廟>

こちらは私が訪れた際、残念乍ら修繕工事中で開放されていませんでした。
建設年代は不明ですが、少なくとも築数百年とのことです。


<古井>

こちらも掘削年代は不明ですが、記録によれば少なくとも200年前には存在してたことが明らかになっています。主に周辺村の生活用水として利用されていました。

現在でも満々と水をたたえています。


<上璋園>

上璋園は鄭氏一族の分家が建設した村で、約200年の歴史があります。
この屏山文物徑沿いでは唯一現存する古代村です。

写真でも何となく見て取れますが、村壁はそのまま残っているものの、その内側には随所に近代建築が建てられています。


聚星樓

聚星樓は香港行政区に唯一現存する古塔です。
こちらも屏山鄭一族が建設したもので、鄭一族7世が建設したと伝えられていますが、正確な創建年代は不明です。

塔は6角形3層構造、高さ約13mで、各層には吉祥の文字が掲げられています(上から順に「凌漢」「聚星樓」「光射斗垣」)。典型的な仏塔であり、建設当時はすぐ近くまで海が迫っており水害回避を祈念したものと言われています。

写真では判り難いのですが、この周辺はKCR西線が建設中であり、すぐ横を鉄道高架が走っています。十数年前の写真では、この塔のすぐ横は水辺になっていたのですが、どうもこの一連の建設工事で様相が一変してしまったようです。
便利になるのは結構ですが、何となく寂しい気もします。


<おまけ:元朗舊墟>

上でご紹介した屏山文物徑は元朗市内の西側ですが、東側にも清代の建設が残った一帯、元朗舊墟があります。
香港中心からは、968番バスで元朗市内に入る一つ手間の東頭村で下車、少し九龍方向へ戻って五和路を左折すると、元朗舊墟を一周出来ます。

既に多くの近代建築が建ち並んでいますが、所々に清代建築が残っており、且つ街並みは昔を彷彿とさせるものですので、散歩がてらに廻るには最適だと思います。ぐるっと一周するとゆっくり歩いて約1時間程度で元朗市内へ出ます。

然し、非常に残念乍ら、そのすぐ横にはKCR西線の線路と駅の建設が進んでおり、この周辺の再開発が急ピッチで進んでいます。駅が完成すれば駅前一等地になってしまいますので、恐らく多くの清代建設も取り壊されてマンションやショッピングセンターになってしまうことでしょう。消えゆく街、という気が致しました。



2002年10月

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