香港の地名の由来



「香港」を、私たちは通常「ホンコン」と読んでいます。英語表記も「Hong Kong」です。
然し、少し考えると大変奇妙な事に気付かれると思います。

中国大陸の共通語である北京語の発音は、「XiangGang(シャンガン)」です。
香港で一般に使われている広東語の発音は、「HeongGong(ヒョンゴン)」です。

それでは何故私たちは「香港」を「ホンコン」と呼ぶようになったのでしょうか?


<「香港」の地名の由来>

「香港」の由来は諸説あり何れも確定的ではありませんが、比較的著名な説は以下の4つです。

1)香炉説

最も一般的に知られているのがこの香炉説です。昔、紅い香炉が銅鑼湾の天后廟前の海岸に流れ着き、それを天后廟に安置して、その背後にある山を紅香炉山と、前の海を紅香炉港と称することになり、それが縮まって「香港」となったという説です。

然しこの説は、文献史学上、明確な誤りが指摘されています。

康煕27年(1688年)に編纂された『新安県志』には、既に「香港」の名を見て取る事が出来ます(因みに、この『新安県志』に登場する地名には、「香港」の他に、「沙田」や「九龍」といった現在も使われている名前も見ることが出来ます)。
ところがこの『新安県志』には、香港村と全く異なる場所に紅香炉山が記されています。加えて、「香港」の名前は更に古い文献上でも確認出来ますが、紅香炉山はこの『新安県志』が初出のようです。

つまり、「香港」は「紅香炉」より古い地名である可能性が高く、よって「紅香炉港」が短縮されて「香港」となったのでは無い、と概ね言えるようです。

2)仙女説

昔、「香姑」という仙女が香港島に住んでおり、「香姑の住む港」から「香港」となった、という説です。
この説は検証が出来ませんが、そもそも「仙女」が登場する時点で些か眉唾な感じがするのは否定できないでしょう。

3)海賊説

清の時代に大活躍したかの有名な張保仔を遡ること遥か昔、明末に「劉香」という海賊がこの地を縄張りにしており、「劉香の港」から「香港」になったという説です。

こちらも仙女説同様に検証する事が出来ませんが、少なくとも積極的に事実と認定するための論拠は一切ありません。

4)香木説

この説が、今のところ最も史実に近いのではないか、と言われています。

明代に中国で使用されていた香木の大半は南方産だったといわれており、明朝には香木を仕入れる専門の官僚を設置するほど香木の交易が盛んでした。その中でも香港は有力な香木産地の一つだったようです。

現在の広東省南部から香港一帯は当時「東莞県」に属していたことから、明代、香港産の香木は東「莞」の「香」木という意味で「莞香」と呼ばれていました。

この「莞香を積み出す港」という意味で「香港」という地名になった、というものです。

恐らく4番目の香木説が有力だとは思いますが、然し真実は誰にも判りません。
恐らく今後も明らかになる事は無いと思われます。


<香港の中の香港>

現在、香港といえば、広義には「香港行政特別区」、即ち香港島、九龍地域、新界地域、離島地域を総括した呼称であり、狭義では「香港島」を指します。

では、「香港」という地名が実際に残っている場所は、と思い、手元の『香港街道大廈詳図』の「地方及郷村」の索引で引いてみましたが、なんと該当がありません。

そこで今度は「街道」で引いてみますと、該当は「香港道」と「香港仔」のみでした。何れも地理的位置は殆ど同じで、香港島の南西部「香港仔(アバディーン)」にあります。「香港仔」や「アバディーン」というより、日本の人には「海上レストラン ジャンボのあるところ」といった方がわかりやすいかもしれません(右写真:ジャンボへ向かう渡し舟の乗り場)。

即ち、この「香港仔」こそ、「香港特別行政区」の「香港島」にある「香港」、つまり「香港中の香港」ということになります。
そして、歴史書に残る「香港村」とは、この一帯を指していたのです。


<「ホンコン」の由来>

そして、この「香港オブ香港」たる「アバディーン」こそ、「香港」を「ホンコン」と呼ぶことに深く関連しています。

清代末期、まだこの土地の名前を知らない英国軍が、アバディーンに上陸しました。
その際、「この土地は何という名前か」と尋ねたところ、案内役の水上生活者(現在は水上居民、かつては蛋民といいました)が、彼らの発音で「ホンコン」と答えたため、ここ一帯が「ホンコン」と呼ばれるようになりました。

やがてこれが広まり、島全体、租借地全体を「香港」と書いて「ホンコン」と呼ぶようになったようです。

つまり、世界に冠たる大都市「ホンコン」は、現在では可也数が少なくなった海上生活者達こそが名付け親だったのです。


アジア経済発展の象徴のような香港の名前が、実はその発展から取り残されたように昔ながらの生活を営む水上生活者たちが付けたものだった、というのは何とも不思議な感じのするお話です。



<参考文献>
『香港』、陳舜臣、文芸春秋、1997年
『簡明香港史』、劉蜀永編、三聯書店(香港)有限公司、1998年

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